複製浮世絵師・高見澤遠治ってどんな人?

・複製浮世絵師・高見澤遠治について

 2018年7月7日(土)美人画研究会第1部の畑江麻里さんによる高見澤遠治の発表を大変興味深く聞きました。以下に遠治について簡単にまとめてみました。

 

 明治23年日本橋横山町に生まれた遠治は裕福な高見澤商店の次男で、幼少期より歌舞伎や小唄に接し、パレットクラブで絵を描くような子供だった。青年になり洋画家を志し太平洋画会研究所に通うが、父の急死により家が困窮し、22歳の頃より生計のために浮世絵の直しの仕事を始めた。絵心、遊び心のある遠治の作品は、本物と見まがうどころか大変優れていた。そんな中、悪徳画商の売り付けで遠治の作品を本物と思って購入したライトから贋作者として訴えられてしまう。(大正6年ライト事件)

 遠治は浮世絵の直しの仕事を廃業し、複製浮世絵を制作するようになり、昭和2年36歳で亡くなるまで浮世絵の復刻に従事した。

 浮世絵では絵師の名前だけが前に出て、彫師・摺師の名前はほとんど知られていない。そんな中、複製浮世絵師として高見澤遠治の名前が残っており、かなり高度な技術を持っていたことが分かった。また、画家の岸田劉生氏とは親友で、のらくろの田河水泡氏とはいとこ同士、作家の永井荷風氏には才能を褒められている。

 

 研究会当日は遠治の子孫で記録本の執筆者であられる高見澤たか子氏や、現代に浮世絵彫師・朝香元春氏とそのお弟子さん達十数名もご参加くださり、いつもより大勢でにぎやかな研究会となりました。  (松永伸子)